イチから分かるフットボールの歴史【世界が熱狂するスポーツになったワケ】

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ユウ
「スポーツやスポーツビジネスの魅力を多くの人に知ってもらいたい」という想いから当サイトを運営。スポーツビジネスを学びたい、携わりたいという人に向けて情報発信。大学教員として大学生にスポーツマネジメントを教えた経験もアリ。

今回は、世界でもっとメジャーなスポーツと言っていい、「フットボール(サッカー)」について、その誕生と歴史を振り返ってみたいと思います。

スポーツビジネスやスポーツマネジメントを学ぶ上で、メインとなる競技の歴史を知ることはとても大切です。

ではフットボールの歴史を見ていきましょう!


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フットボールの誕生 ~エリートが生み出したスポーツ~

フットボールは、イギリスのロンドン市内にあった上流階級の子どもが学ぶ「パブリックスクール (public school)」で授業の一環として行われたのが始まりとされています。  

パブリックスクールというのは、13歳〜18歳の子供を教育するイギリスの私立学校の中でもトップの10%を構成するエリート校の名称です。

したがって、フットボールはエリート層から広まっていったスポーツと言えます。

最初にフットボールを必須科目としていたのは「ハロウ校(Harrow school)」という学校でした。

ハロウ校は現在でもイギリスの名門パブリックスクールとして有名で、イギリスの首相を輩出した学校でもあります。

19世紀中盤になると、エリートの間で激しい運動が人気となり、なかでもフットボールやクリケットは大流行しました。

パブリックスクールのフットボールの試合は、「何でもアリ」といった状態で行われ、相手を殴ったり倒したりすることもOKな危険なスポーツでした。

1846年、ラグビー校(Rugby school)で初めてルールが作られました。ちなみに、ラグビー校は手でボールを持って走る「ラグビー」の原型をプレイしていたスクールだとされています。

当時のフットボールチームは社会の広い範囲で組織されていたようで、1830~60年の間にイギリス内で70以上のチームの存在が確認されているようです。

試合はしばしば観客を集め、賭けの対象になることもあり、様々なレベルの組織が独自のルールで試合を行っていきました。

1857年に創設された南ヨークシャーのシェフィールドフットボールクラブは、1862年にルールを活字にしており、その地域では翌年に現在と同じ、11人で試合を行っていたようです。

1863年にジョン・カートライトという人物が、スポーツ紙に、「様々な学校と大学の代表がフットボールの共通ルールを作るべき」、と提案し、そこで6つの学校の代表がケンブリッジで会合を開きました。

その際、「ラグビー形式」よりも「ドリブル形式」を優遇し、相手のすねを蹴る(ハッキング)ことや、足をかける(トリッピング)こと、そしてボールを持って走ることを禁止しました。

その後、1863年10月26日、グレート・クイーン・ストリートにあるフリーメイソンズ・ターバンにて、ロンドンにある11のクラブと学校で会議が開かれ、フットボール・アソシエーション(Football Association)が誕生したのです。

ピッチの大きさ、ゴールの大きさ、得点の条件やオフサイドなどが協議され、12月1日に行われた会議ではケンブリッジで協議されたルールの採用を決定しました。

しかし、ボールを手で触れることは禁止されなかったのです。

ラグビー形式の支持者たちは、1871年に「ラグビーフットボールアソシエーション」を設立し、FAに参加していないクラブはラグビー形式に従っていました。

1860~70年代のFAは組織の力がなく、FAのルールは多くのクラブに認められなかったようです。

しかし、それが徐々に変っていきました。

その理由は、FAがチャールズ・オールコック事務局長のもとで、規則の矛盾をとりのぞき、改定した規則の内容を主要クラブに通達を送りルールの統一をはかったこと、仕事を休めない労働者にとってはラグビーよりもフットボールのほうが手軽だったこと、オールコックによって「FAカップ」がスタートしたことによりフットボールが大衆化したことなどでありました。

Charles William Alcock

フットボールの発展 ~スポーツに「お金」が絡んでプロ化へ~

フットボールは当初、気軽なスポーツでしたが、1880年代になると産業都市の集まるミッドランドと北イングランド近郊の人々が熱狂し、労働者はトップレベルの「カップ戦」を見ようとお金を出して、地元ビジネスマンも主要クラブを運営するために進んで資金を援助していきました。

FAは当時、金銭を受け取ってプレイしている選手を排除しようとしていました。

1884年のFAカップの試合で、ロンドンの選手たちによるアマチュアチームが、相手チームにプロ選手が含まれている、と非難する事件が起こり、これをきっかけにランカシャー地域のクラブが会合を開き、ロンドンを中心として活動していたFAからの脱退について協議しました。

しかし、FAのオールコック事務局長は、FAが今後ともフットボールを掌握するには、プロ選手も受け入れる必要があると理解し、1885年にプロ選手がFAの管理下に置かれることが決定されました。

そして、1888-89シーズンにプロクラブがフットボールリーグを開催したことによって、各地でプロ化が進み、プロやアマチュアによって次々とフットボールリーグが誕生していったのです。

1872年11月30日に、イングランドとスコットランドによる史上初となる国際試合が行われ、このときにスコットランドフットボール協会が設立、次いでウェールズが1876年に、アイルランドは1882年に協会を設立しました。

そして、4つの協会は競技規則の変更に対応するために、国際フットボール評議会(IFAB)を設立しました。

初となる海外遠征はFAがプロアマ混合チームを1899年11月にドイツに送ったときで、イギリスチームは圧倒的な勝利を飾りました。

FAはフットボールを普及させるための特別な努力はしませんでしたが、イギリス人の若者が仕事のついでにフットボールをヨーロッパやアフリカや南アメリカに広めていきました

FIFA(国際サッカー連盟)が設立されるまでには、イギリスのフットボールは単なる娯楽ではなくなっていました。

フットボールの魅力は地域社会の忠誠とアイデンティティーを反映し、地元の強豪クラブの選手は英雄となっていきました。

クラブは利益のためでなく、楽しみ、名声といった動機から運営され、ほとんどのフットボール組織は中流階級の手にあり、労働者の株主もファンの延長でしかなかったようです。

1914年に国王のジョージ5世が初めて観戦し、1920年代には、ウェンブリー・スタジアムに9万人のファンが来場し、全国のマスコミが報道する数少ないイングランドのスポーツ行事となっていきました。

まとめ ~スポーツもビジネスも「ルール」が大切~

今回は、フットボールの歴史を、誕生当時から発展期にあたる1800年代の後半~1900年代の前半という期間でご紹介していきました。

元々はエリート層のごく一部で行われれていたスポーツが、きちんと「ルール化」されたことによって一気に市民に広まっていき、世界規模で発展していったのですね。


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