「スポーツビジネス初心者」に絶対読んで欲しい45冊を一挙にご紹介!!

「新聞社」がなければ日本のスポーツビジネスは誕生していなかった!? プロ野球を生み出した日本独自のビジネスモデル

The following two tabs change content below.
須賀 優樹
「ゼロからのスポーツビジネス入門」の運営代表として、「世界イチわかりやすいスポーツビジネス・マネジメント」を情報発信。元産業能率大学教員として大学生にスポーツマネジメントを教えた経験も。スポーツ業界就職や起業相談、スポーツ組織向けコンサルティングも好評。

今回は、日本のスポーツビジネスがどうように発展してきたのかを、「新聞社」に焦点を当てて見ていきたいと思います。

日本のスポーツビジネスの発展の歴史は、以下の記事でも解説しているように、「メディア」の影響によって成長していった側面が強くなっています。

最近では、インターネットやSNSなどの新しい「メディア」に押される形で、「新聞」というものの存在感が薄れてきてはいますが、「新聞社」がスポーツに対してお金をかけていなければ、現在の日本のスポーツビジネスはここまでの規模にはなっていなかったかもしれません。

それでは、「スポーツと新聞社」の関係から日本のスポーツビジネスの歴史を見て行きたいと思います!


スポーツビジネスの「お悩み相談」や学びをお届けするオンラインマガジン」をLINEでやってます😆📣

「メディア」によってスポーツが「商品」としての価値を持った

「メディア」という視点から日本のスポーツビジネス発展の歴史を紐解く ~権利ビジネスが拡大したワケ~ の記事でもご紹介した内容を少しおさらいしたいと思います。

スポーツビジネスの歴史はまだまだ浅い (約60年くらい)

「テレビ」の登場・発展と共に、スポーツが「商品」としての価値を高めていった

 ということです。

厳密に言えば、スポーツ用品製造企業(スポーツメーカー)の中には100年以上前から存在する企業もあり、体操着上履きなどを販売していました。

これらも確かに「スポーツビジネス」ではありますが、「スポーツの価値そのもの」を売っているわけではありません。

これは「スポーツを通じて何かの商品を作り、販売する」というビジネスです。

「スポーツそのもの」を商品として売っている

「スポーツを通じて」何かを売っている

「スポーツビジネス」の大きな分け方としての2種類

近年のスポーツビジネスで巨額なお金のやりとりが発生したり、みなさんがチケットを買ってスタジアムに行ったり、テレビ観戦したりするスポーツビジネスは、「スポーツが持つ価値」そのもの、つまり「スポーツにおける試合」を行うことによって生まれる価値を売っているのです。

こうしたスポーツビジネスの発展は、日本においては「テレビ」が一般世帯に普及し始めた1950年代以降ということになります。

では「テレビ」や、現在のように「インターネット」が全く存在しなかった時代には、人々はどのようにしてスポーツに関する情報を得ていたのでしょうか。

日本におけるスポーツビジネスのさきがけ ~新聞社によるスポーツの利用~

日本における近代的なスポーツビジネスは、「新聞社」によって作り出されたものです。

1900年代初頭、時事新報社大阪毎日新聞社長距離走大会競泳大会などを主催しました。

1910~25年ごろにかけては、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、報知新聞などの大手の新聞社がこぞって「スポーツイベント」を主催するようになります。

新聞社は、なぜこのようにスポーツイベントを自ら主催(開催)するようになったのでしょうか。

それは、自社の新聞をたくさんの人に読んでもらいたいからです。

※少し難しい言葉で言うと、「新聞の発行部数を上げるため」です。

例えば、「総理大臣が今日はこんな発言をしました」とか、「経済はいまこのようになっています」などのニュースは、どの新聞を読んでもだいたい同じようなことが書いてあるはずです。

※というより、「総理大臣の発言が新聞によって全部違っている」などということがあれば、国民は何を信じていいか分からなくなってしまいます。

そうすると、新聞を買う人から見れば「どの新聞を買っても一緒じゃないか」と思ってしまいます。

新聞社としてはこれではいけません。

なんとかして「この新聞読みたい!」と思ってもらう必要があるのです。

そのため、日本人の好きな野球大会陸上大会などを新聞社自らがお金をかけて主催をして、その結果を独占的に(大会を主催した新聞社だけが)報道するようになったのです。

しかも、新聞は全国に流通させることができます。

※地方の新聞局は別ですが、全国的な新聞社の新聞は日本のどこに行っても買えるということです。

新聞を全国に行きわたらせることができるということは、全国大会だけでなく、その地方の予選大会なども報道することができるのです。

こうして、他の新聞社にはできないスポーツイベントを主催することによって、「他と違う面白い新聞」を作り出すことができます。

さらに全国でスポーツを主催することによって、新聞社の名前自体を全国各地にアピールすることができるのです。

新聞社はなぜ「スポーツ」を開催することを選んだのでしょうか。

音楽イベント」や「芸術イベント」のようなものと「スポーツ」は違うのでしょうか。

その違いこそ「スポーツの価値」が隠されているポイントです。

1930年以降は「新聞社」が「プロ野球チーム」を持つ時代に

このように、1900年頃から1930年頃にかけて、「新聞社」が自分たちの「新聞」をたくさん売るために、注目を集める手段として「スポーツイベント」を主催する、という例が多くなっていきました。

しかし、「スポーツイベント」というものは現在のワールドカップやオリンピックなどもそうですが、基本的には「1回限り」で終わってしまいます。

もちろん、「1年に1回開催する」とか、そういったように「定期的」に開催することはできますが、「イベント」である以上は、頻繁に開催することはできません。

1930年を過ぎると、そうした状況がすこしずつ変わってきます。

1934年には、読売新聞社が主催して、ベーブルースを中心とするメジャーリーグ選抜と日本選抜の試合を、日本で開催することになりました。

アメリカのメジャーリーグは「野球を職業」としている人たちの集まりですから、「プロの野球選手」ということになります。

一方の日本では、当時はまだ「プロ野球」というものはなく、野球は学生を中心に行われるスポーツでした。

そうした中で、当時の文部省(現在の文部科学省)が、「学生がプロの選手と試合をすることは許可しない」という指令を出したため、イベントの主催者である読売新聞社は、中学・大学・商業学校などの卒業生を慌てて集めて、「全日本チーム」を結成したのです。

これが、現在の「東京読売ジャイアンツ」の母体である、「東京巨人軍」です。

プロ野球チームを作ること」が目的だったわけではありませんが、これをきっかけにして、読売新聞社の社長であった正力松太郎氏が、大阪の阪神電鉄に「大阪でもプロチームを作らないか」と呼びかけ、阪神電鉄がその話に賛同して、現在の「阪神タイガース」の母体である「大阪タイガース」が1935年に誕生しました。

東京と大阪にプロ野球チームが誕生したことを知った「名古屋新聞」も、「金鯱軍」の結成に乗り出し、同じく名古屋地方で多くの発行部数を誇っていた「新愛知新聞」も「名古屋軍」というチームを結成しました。

ちなみに「名古屋新聞」と「新愛知新聞」は1942年に合併し、現在の「中日ドラゴンズ」の親会社である「中日新聞」になりました。

さらには、「阪神電鉄」の競合企業である「阪急電鉄」も、チーム結成に向けて動き始め、1936年に「大阪阪急野球協会」(現在のオリックス・バファローズの前身)が誕生しました。

このように、「新聞社」を中心とした「プロ野球チーム設立」の動きが、1930年以降活発になります。

その後は毎日新聞西日本新聞といった新聞社もプロ野球に参入しました。

こうした「新聞社」がプロ野球チームを持つ最大の理由は、プロ野球チームの試合の入場チケットを利用して、新聞の「新規購読者を増やす」というものでした。

また、「ライバル企業に負けたくない」、という意地も、様々な新聞社がプロ野球チームを持つ大きな理由になったとされています。

したがって、今では「当たり前」とされているような「プロスポーツの地域密着」であったり、「スポーツによる地域貢献」といったものは、ほとんど関係なかったのです。

「新聞社」には「野球」というスポーツ自体で「稼ぐ」という考えはなく、あくまで「新聞の発行部数を伸ばすため」という目的でプロ野球チームを運営していたことから、チーム単独ではほとんど利益を上げておらず、地域に対しての貢献といった視点もありませんでした。

「クラブ経営」の視点がほとんどないような状況がその後もしばらく続き、プロ野球全体としても2000年代に入ってからも、多くの球団が「赤字体質」のままでした。

今回は「プロ野球の球団経営」には触れませんが、こうして「新聞社」が当時日本で最も人気があったと言っていい「野球」というスポーツのチームを持ち、そのチーム同士を「対戦」させることによって、自社のビジネスに利用しました。

結果的には「野球」というスポーツはその後も日本においては1位、2位を争う人気スポーツとなっており、ビジネスとしての規模も年々増えていっています。

現在では、「新聞社」としてプロ野球チームを所有しているのは東京読売ジャイアンツの親会社である「読売新聞社」と、中日ドラゴンズの親会社である「中日新聞」しかなく、特に中日ドラゴンズに至っては、中日新聞の本業の「新聞事業」の収益があまり思わしくないこともあって、球団経営にあまりお金をかけることができない状況になっています。

2000年以降にプロ野球チームの親会社となった、ソフトバンク楽天DeNAといった「IT企業」と比べると、球団経営にもかなり差がついてしまっているのが現状です。

それでも、目的はどうあれ、「新聞社」が日本のスポーツビジネスに対して結果的には大きな貢献をしてきたという事実は見逃せません。

新聞が売れない」という時代において、「新聞社」が今後どのようにスポーツと関わっていくのかというのも注目ですね。

まとめ ~昭和は新聞社の時代、令和以降の主役は?~

今回は、\「新聞社」がなければ日本のスポーツビジネスは誕生していなかった!? プロ野球を生み出した日本独自のビジネスモデル/ というテーマで、「新聞社とスポーツ」の歴史を中心に解説してきました。

今回の内容をまとめると、

日本のスポーツビジネスは、新聞社が自らスポーツイベントを主催することによって始まった。

新聞社は、「他と違う新聞」を作り出すために、「スポーツ」を利用した。

「スポーツ」には、音楽イベントや芸術イベントでは生み出せない、独自の価値がある。

新聞社は、「自社の発行部数を伸ばし、ライバル企業に差をつける」という目的で、続々とプロ野球に参入していった

現在は「新聞」があまり売れないため、「新聞社」としてどうやってスポーツに関わっていくのか今後の動向が注目される。

という内容でした!

みなさんもあまり「新聞」を読まないかもしれませんが、「新聞」が持つ価値、というのは、インターネットが発展している現在でもまだまだあるのではないかと私は思います。(私は新聞をよく読んでいます)

今後は、どのような産業や業界、企業がスポーツをうまく盛り上げていくのかに注目ですね!!


スポーツビジネスの「お悩み相談」や学びをお届けするオンラインマガジン」をLINEでやってます😆📣


“もっとスポーツビジネスを学びたい!”という方へ

スポーツビジネス初心者のために徹底的にわかりやすくスポーツビジネスやマネジメントを解説したレポートをオンラインショップで販売中です! 「難しい本を読んでも分からない!」「学校の課題提出に役立つヒントが欲しい!」「スポーツでどうやってビジネスをするの?」という疑問にお答えするレポートが盛りだくさん!レポート購入頂いた方には特別な特典も! スポーツ業界で仕事がしたい人は必見!


ABOUT US
須賀 優樹
須賀 優樹
「ゼロからのスポーツビジネス入門」の運営代表として、「世界イチわかりやすいスポーツビジネス・マネジメント」を情報発信。元産業能率大学教員として大学生にスポーツマネジメントを教えた経験も。スポーツ業界就職や起業相談、スポーツ組織向けコンサルティングも好評。